美術展と小説をススめる音楽家

古いもの好きの現代人

特別展「桃山 天下人の100年」の記録

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東京国立博物館の平成館にて、

2020年10月6日~11月24日に開催された「桃山 天下人の100年」
公式サイト:特別展「桃山―天下人の100年」:東京国立博物館

 

(この記事は2020年10月に展示へ行き下書きをして、

2021年3月にこちらに投稿しています)

 

前期・後期と2回観に行きましたが、

個人的には後期の方が充実した時間が過ごせました。


詳しい感想などは後程に述べるとして、まずは基本情報を。

 

桃山時代は、織田信長豊臣秀吉が政権を握っていた時代。
うつけものと、派手好き。
そんな二人が天下統治した時代は、美術的にもとても華やかな時代だといわれています。

 

とはいえ、「詫び寂び」の千利休も生きていた時代なので、一概にすべてが華やかだったとは言えませんが……。

 

この展示では、そんな桃山時代への変革、昇華、そして次の時代へと続く、歴史の1ページを覗く展示でした。

 

 

桃山美術を7つの章に。

 

Ⅰ 桃山の精髄―天下人の造形
Ⅱ 変革期の100年―室町から江戸へ
Ⅲ 桃山前夜―戦国の美
茶の湯の大成―利休から織部
Ⅴ 桃山の成熟―豪壮から瀟洒
Ⅵ 武将の装い―刀剣と甲冑
Ⅶ 太平の世へ―再編される権力の美

第5章の副題にある「瀟洒」。
「しょうしゃ」と読むそうです。

意味は「すっきりとあか抜けてしているさま。俗っぽくなくしゃれてるさま」

前期を見に行った時にも目を引かれたものももちろんありましたが、

狩野派の代表作は後期に重点的に展示されたので、感動の度合い的にはやはり後期の方が多かったです。

 

 

個人的なお気に入り

 

数えてみたら12作品がお気に入りとして二重丸の印がつけられていました。
ひとまずはズラリと並べてみよう。

(番号は出品目録のナンバー。

 重要文化財は「重文」と省略。)


13「消息 五さ宛」 豊臣秀吉
23 重文 「花鳥図襖」 狩野永徳
42「唐物 茄子茶入 北野茄子」 
93「書状」 古田織部
94 重文 「油滴天目」
112「織部黒沓茶碗 銘 小舟」
125 重文 「南蛮人渡来図屏風」
126「南蛮人渡来図屏風」
134「唐獅子図屏風」 狩野永徳
137 国宝 「松林図屏風」 長谷川等伯
185「田舎絵巻」 烏丸光広
188「菊花図屏風」 書:伊達政宗 絵:伝狩野左京

 

全231もの作品の中でも気にいった作品がこれらでした。

 

上記には書きませんでしたが、狩野派では正信、永徳、探幽に惹かれました。


前期に展示された狩野派の山楽や山雪の襖絵にも魅力を感じてはいましたが、
後期で正信の厳かな濃淡、永徳の力強い筆、探幽の空間のセンスを目の当たりにしたら
京狩野とも呼ばれる山楽、山雪はあっというまに二の次になってしまいました。


やはり派閥を作るほどの「最初の力」を持つ人のパワーには圧倒されます。

狩野永徳の作品は、もちろん洛中洛外図屏風のような細画も、人物の表情や動きに個性が出ていて好きですが、やはり大きな作品がピカイチで輝いていました。


この特別展の広告にもなっている「唐獅子図屏風」。配置としては端に置かれていたが、そのオーラは会場をのしのしと散策しわんばかりの生き生きとした獅子でした。

 

 

せっかくなので、上に挙げたお気に入りリストにコメントを加えていきます。

(メモのままなので口調が変わっています)

 

13「消息 五さ宛」 豊臣秀吉
消息とは平たく言えば手紙のこと。
これは豊臣秀吉北政所の侍女「五さ」に宛てた手紙なのだが、文字の美醜の判断はされど文字の解読ができない私は、隣に並んだ徳川家康が「ちよほ」に宛てた消息の字と見比べてマスクの中で唇を弧に結んだ。
 作品横の解説のプレートにすら「豊臣秀吉の性格が表れた字(意訳)」と書かれていて、もう、まったくそれに同意してしまった。勿論のこと本人にあったわけではないので、想像の中の豊臣秀吉が書きそうな字そのものだったのだ。

 

 

13 重文 「花鳥図襖」 狩野永徳
所蔵は京都 聚光院。まだ行ったことはないが、観光案内のパンフレットなどでよく目にする。
幹の逞しい曲がりはさることながら、枝の一本一本の生命力。そして可憐に咲く花。流れる川のまろやかなうねりが岩にぶつかる。その岩は大地にずっしりと沈み込んでいるように佇む。

多い情報が、しかしすっきりとまとまって存在感を一つにまとめている。

全体を見ても、枝の先、岩の影、幹のしなり、そういった繊細な部分の威力がしっかりと伝わってくる。

見ていて快感すら覚えた作品だった。

 

 

42「唐物 茄子茶入 北野茄子」
これは前期でも展示されていたが、とにかく、かわいい。

ころんとしたやや下膨れの丸み。滑らかな光沢。手のひらにのせればちょっと大きなハムスターくらいのサイズ。
天井からのライトがその可愛らしい茶入れを照らしているのが、小さな栄光を照らしているようで愛おしく思った。

 

 

93「書状」 古田織部
解説のプレートには「利休から学んだ字ではなく、自身のオリジナルの雰囲気を出した」(解説をメモしそびれたので、これも意訳だ)と書いてあり、私は10歩ほど歩いて利休の書を見た。整った、いかにも綺麗な字だった。また10歩、戻ると時代が少し進んだ実感がするような、やや崩れた織部の字。利休の字もお手本のような美しさがあるが、織部の方が個性のある字だった。

織部の字を賛美するというよりは、師の教えからオリジナリティを見出したその事実に惹かれた。

 

 

94 重文 「油滴天目」
これも茄子茶入と同じく、前期から展示されていたもの。
事前の勉強でこれの写真を見た時でさえ目を奪われたものだが、実際にそこに在るという現実になれば、それはもう目を見張るものだった。

宇宙が凝縮されたような、色見と星が散らされた椀。

身長157センチの私は背伸びをしてその一番深いところの宇宙を覗くのに必死だった、

 

 

112「織部黒沓茶碗 銘 小舟」 

油滴天目が宇宙なら、これはブラックホールだろう。吸い込まれるような黒。

不確かな形で、はっきりとした色見とは裏腹に危うい存在感。

しかしその朧さと、ピンと張った緊張感が見事なバランスでそこに在った、
黒曜石のような輝きは、素材からなのか、なにか技術があるのか。
焼き物についてはこの展示の前に付け焼刃で覚えた知識のみなので、これからの勉強のやる気には十分すぎる材料だ。

 

 

125 重文 「南蛮人渡来図屏風」
126「南蛮人渡来図屏風」
後期に二つが揃ったこの「南蛮人渡来図屏風」。
とにかく印象に残ったのは、こちらを見て笑っている男の姿だ。
こういう顔、見たら呪われるという噂の画像になかったかなと考えてしまうような、不気味に正面を向いて笑う男が、しかも、各屏風(6曲)に何人も現れたのだ。すべて同じ顔で。
最初こそ不気味と思ったが、右から左へ、歩みを進めながら屏風を辿っていくと、またこちらを見てる、ああまたみてる、となんだか面白くもなってしまった。

 

 

134「唐獅子図屏風」 狩野永徳
これがサイズ的に大きなものだというのは思っていたが、その想像を超える迫力だった。
まず屏風自体がかなり大きい。

これを置ける屋敷というそれだけでも富と名誉を象徴できるだろう。

そしてメインの2頭の獅子。背中の模様が美しかった。

顔周りが一番線が太く、強く描かれ、そこから遠くなるほど線の幅は収まっていく。

基本的な技術だろうが、これがこの獅子の圧倒的なオーラを放つ要因の気がした。

 

 

137 国宝 「松林図屏風」 長谷川等伯
永徳が描く枝とはまた違った力強さがあった。
あくまでその力強さは限られた箇所の枝のみで、基本は霞がかった山の深いところにひっそりとしかし確りと根を張る松林だった。

現実的な幻想だった。ありそうで、ない。そんな空間だった。

 

 

185「田舎絵巻」 烏丸光広
この作品の気にいったところは、文字の筆さばきは勿論だが、あの人物画。

久しぶりにあんなにユルい描写を見た。

まるで小学生のノートに描かれていそうな落書きレベルの人物。それの周りを囲む流暢な書。

きっと本人はこんな風に国立の美術館で展示されるとは思いもしなかっただろう。
ちなみに私はこういったラクガキみたいなものが時を経て美術品になり重宝されるという例が大好きだ。時の流れを感じられる。

私達の知っている漫画や同人誌がこうしたところに並べられるのも、そう遠くない未来なのだろうなとこういうものを見るたびに毎回思う。

 

 

188「菊花図屏風」 書:伊達政宗 絵:伝狩野左京
この作品の気にいったところは絵よりも、伊達政宗の書だ。
予習段階では伊達政宗が関与した作品があることは知っていたのだが、後期を見に行った日はすっかり忘れていて、この作品を目の当たりにして改めて衝撃を受けた。
光に照らされた字。それらは全て似ていて異なる。

一つ一つの書によって書き方を分けていた。そういう伊達なことを、この屏風絵でもやったのだ。
私は想像してみた。

この屏風がどんなふうに描かれたかは知らないが、もし、仮に、絵が先に描かれ痕から字を書いたとしたら。

あの伊達政宗がこの絵を正面から眺め、どこに散らそうか考えその片目を動かしたのだろう。
独眼竜と同じ位置に立っているともいえる経験ができたわけだ。

思いがけず基調で不思議な体験ができた。
……書自体の感想に触れていなかった。

いや、勿論それは素晴らしい書だった。

字の良しあしが分かるほど書を嗜んでいるわけではないが、それがとてもいいものだとは感じられた。

それこそ、豊臣秀吉の字とはまったく違った。

どちらかと言えば吉田織部のような雰囲気だった。

お手本通りに描くのではなく、オリジナルを出した字。

それは性格をも体現しているように思うのだ。生きる証明がこの字には感じられた。
ともかく、私はこの伊達政宗の字を見た時、心の中で誰にかは分からないが電話をかけた。

「ちょっと、なんか、伊達政宗の書が」と特に意味もないけれど、この感情をあの静かな場では抑えられなかったことは確かだ。

 

 

 

ちょっと変わった内部事情?

 

かなりの充実した展示でしたが、いくつか不思議な点がありました。

まずはグッズ展開について。
今回の展示はなかなかに面白いグッズ展開だったのだけれど、まずポストカードが少ないことに「アレ」と異変を感じました。


グッズコーナーを一周してみると、こだわりのラインナップ。

クリアファイルも縦のものと横のもの2種類があり、ミニチュアの屏風、アイフォンケースと、ここまでは想定内でしたが、

イラストマスク、マスクケースと世情に通じたものや、ランダムアクリルキーホルダー、ガチャ木札(松林図屏風)、ザビエ湯などのネタに走ったものも多く目につきました。


ネタに走るなら宣伝もSNSを中心に大々的にやっているのかと思うが、そうでもない。


しかし駅に大判の広告を貼ったりと、ふとしたところへの宣伝はしている。


急遽決まった展示なのかもしれないが、雑誌 芸術新潮にも取り上げられていなかった……。

 

 

そして展示の方法について。
ガラスケースのことと、角度についても「おや?」と感じました。

 

今回の展示は屏風や襖絵が多いから、ガラスケースのつなぎ目の調整が難しそうだとは思ったが、それにしても目についた。


しかも細画ならまだ100歩譲って妥協できるが、引きで見た時が一番映えるような屏風絵の真ん中や、微妙に右側だったりにケースの繋ぎ目の縦線が入っていたのです。


他の展示ではあまり気になったことがないから、おそらくこの展示がそういったレアケースなのかもしれないのかと。

 

まあ、それは仕方がないことだと理解しても、刀の展示方法についても疑問が浮かんだので、どうやらこの展示は内部のなにかがどこか普段とは違うのではと勘ぐってしまいました。

 

その刀の展示というのは、角度と高さのことです。


刀を見るときはまず姿から、とはいうものの、やはり魅力を十分に感じたいのならば刃文や地鉄という刀剣の醍醐味を見ることでしょう。


しかし、見えない。

角度が上向きだったのです。


前期でこの違和感を感じ、私はツイッターでこのことを呟きました。

反応したのはフォロワーのみでしたが、こういう企画展などは大抵エライ人たちのエゴサが行われていると聞いたことがあるので、

そのエゴサに引っかかるように単語も調整して呟きました。


その功が成したか、意見箱にでも似たようなことが集まったのか、後期では見やすい角度に変わっていたように感じます。

(同じ靴を履いていったので、ヒールの高さは関係ないです)


豪語しておいて、実際何もいじっていないのだと判明したらそれまでですが、

とはいえ、その刀剣の展示の角度はトーハクにしては珍しくあまり配慮されていないもので、違和感を感じたのは事実です。


とまあ、角度については改善されたように感じましたが、高さは変わっていないように思いました。


身長157センチの私ですが、今回の展示はやや高めに設定されているように感じました。
桃山時代の展示となると、客層は男の人が多いと踏んだのかもしれないと予想はしましたが、これは如何に……。

 

展示物を照らすライトも今回はすこしいつもと違うような気がしました。


たしかに、紙製のものと、陶器のもの、材質の違うものを混同しての展示だったからかもしれませんが、天井から吊るされたものが多かったのが珍しく感じました。


2つほど、これはどこを照らしているんだろうと思うくらいに、ただ床を照らしているライトがあったのも未だに疑問です。なにか意図があったのか、ミスなのか、何なのか……。

 

このようにいくつかの疑問点は残りましたが、展示自体はとてもいいものだったので内部を推察するのは野暮ということで目をつむっておこうと思います。

 

観客動員数も心配になる世情でしたが、何はともあれ無事に閉幕。


このコロナ禍でもこのように展示を開催してくれるだけでも有難いものです。


次は何の特別展がくるか、今から楽しみです。